こんにちは。もね子です。
『日本語→ジャパン語→グローバル語→英語』の思考過程について前回お話しました。
今回はその思考過程に基づいて、かつて私も抱いていた「なぜ英語が話せないんだ」という悩みを考察したいと思います。
英語が話せない原因を『思考過程』に基づいて考察してみる
「こんなに真面目に英語を勉強しているのに、なんでいつまでたっても話せないんだ」
「英語の問題は素早く正確に解答できるのに、簡単な一言も英語で言えないなんて」
こんな悩みを抱えて悶々とした日々をお過ごしではないでしょうか。
かつての私がそうでした。
学校で習う英文法を徹底的に暗記して、問題集を解きまくって、正答数の多さと解答スピードの爽快感に心酔していました。
その状態でIELTSのスピーキング対策に乗り出したとき、「あれ、自然に話せない」と気づいたんですね。
読めるのに、和文英訳もその逆も書けるのに、ある程度聞き取れるのに、自然な会話が出来ないんですね。
これは一体なぜなのかと、あらゆる書籍を読み漁り、動画や英語サイトに助けを求めた結果、原因を突き止めました。そしてあなたが英語を話せない原因もこれです(決めつけ御免)
それはズバリ
日本語と英語の距離を無視しているから
です。
この答えはまだ抽象的で、いまいちピンと来ないかもしれません。
順番に説明していきますね。
英語が話せない原因は、日本語と英語の距離を無視しているから、と述べました。
日本語と英語の距離って何?
まずは言葉の定義をします。
日本語と英語は言語系統が異なる
距離とはつまり“違い”です
日本語と英語は言語系統が異なります。これは比較言語学の分野なので、専門家でない私が説明するには荷が重いため割愛させてください(-_-;)
いつか別の記事で書いてみます!
要するに、日本語と英語ではその姿も性格も全く違うもの同士だということです。赤の他人なんです。
私たち家族のルール(皿洗いは次女の役割)や価値観(いい大学に入ったらいい職が見つかる)とは別のルール(家事分担はルーレットで決定)や価値観(今は下克上の時代だからスキルを持つべし)を持っているんです。
なので、英語は簡単に習得できる、ということではないんですね。
英語は簡単だからみんな勉強しているのではない
英語の習得は難しい_| ̄|○
そもそもなぜ日本人である私たちは英語を勉強するのか。
それは、英語が日本語と似た性質を持っていて習得に簡単な言語だから、ではないですよね。
なぜ英語が世界の共通語として君臨しているのか。
英語という言語は、様々な母語をもつ人々にとって外国語として習得しやすい普遍性をもっているから、でもないですね。
英語という言語が世界の共通語になったのは、この時代の国家や企業体の『覇権総取り合戦』に勝ったからと私は考えます。
義務教育で英語を学ぶのも、極論を言うとその英語パワーにあやかるためですね^^;
だから私たちは、日本語との違いがいっぱいある英語を習得するのに、必死にならなければいけないわけです( ゚Д゚)
そして、英語は日本語から遠いところにある、ということを認めたうえで、近づいていく努力をする必要があるんです。
だけど英語を勉強する理由は、それだけではないと思います。
英語を知って自分の世界が広がることが、楽しくて嬉しくて感動するんです。
だから楽しく英語学習を続けたいですよね。
そのためにも、日本語と英語の距離を自覚して、無理せずに近づいていくことが大事です。
英語を話せるようになるうえで知っておきたい日本語と英語の違い
それは責任の所在です。
はっ。なんか政治家っぽくなりましたね。
つまり、日本語では聞き手に責任があるのに対し、英語では話し手に責任があるということです。
もうちょっとかみ砕くと、
日本語では、聞き手が話し手の言わんとしていることを察する、ということが暗黙の了解で期待されています。
「お腹、空いたね」と彼女が発せば、聞き手の彼氏は『彼女は今お腹が空いている』『彼女は僕もお腹が空いているのかを尋ねている』『いやむしろ一番言いたいことはマックに寄ろうよということだ』と一人推理探偵をするんですね。
それに対して英語では、話し手に説明責任があります。誰が何をどうしたのか、私はこう考えるがその理由はこうだ、という説明ですね。
動作の主体が誰(何)であるのか、その情報は事実なのか意見なのか、旧情報か新情報か、と明示すべきことが多岐にわたります。
“I'm hungry”だけで終わらせてはいけません(状況にもよりますが)。
“How about you?”と発して、話し手の私とは違うことを思っているかもしれない相手のことを尋ねたり、“Let's go for lunch at McDonalds”と提案して“I'm hungry”と発した意図を伝える・説明する必要があります。
こうしてみると、日本語と英語ってずいぶんと離れているんだな、と思いませんか?
日本語と英語の距離を埋めるための踏み台が『思考過程』である
まずは思考実験
ちょっと想像してみてください。
日本平野と英語平野というところがありまして、その間に川が流れているとします。川幅は3メートルぐらいです。底はそんなに深くなさそうですが、流れは速いです。
あなたは今、日本岸に立っています。向いにある英語岸に行きたくて行きたくてたまりません。
なぜか。禁断の果実があるからです。振ったらなぜかお金がでてくるこづちがあるからです。割ってみたらホクホクのシチューが入っているヤシの実があるからです。
たまりませんね。
なんか渡れそうな気もしますが、おそらくジャンプしても渡れません。頑張ってもギリギリのところか、多くの人は真ん中のところで川にダイブすると思います。
流れが速いので川の中を歩いて渡ることもできません。
どうやって渡りましょうか。
踏み台をつくろうよ!それを使って渡ろうよ!
というのが私の提案です。
離れているなら踏み台を作ろう
踏み台、この思考実験では飛石(とびいし)です。
川や池の中に何個かあって水面から顔をだしているあの石です。
川を渡れるほどの大きさの石(岩?)を2つ置けば、3メートルの川幅なら楽々と渡れますね。
そう。その飛石となるのが、あの『思考過程』のなかの『ジャパン語』と『グローバル語』です。
一生懸命に文法や単語を暗記しても英語が話せないでいるのは、3メートルの川幅を自分の脚力だけで飛び越えようとしているからです。
英語の勉強を始めてみようと思っても何から始めていいのか分からないのは、3メートルの川幅を前にしてこれは絶対に渡れない、と立ちすくんでいるだけです。
飛石を工面してください。そうすれば無理なく安全に川を渡ることができます。
飛石を工面すること自体もそれなりにやることはあります。
しかしそれは無理に川を渡ろうとするよりも圧倒的に負担が少なくて効率的です。
『思考過程』においても、まずは『日本語→ジャパン語』の過程を踏むので、日本語を使用して考える段階です。
そもそもこの単語がの意味が分からない、というようにつまずくことはありません。
日本語になくて英語にある要素を丁寧に取り出していく作業です。
日本語を使って英語のルールや価値観を獲得していく行為です。
そしてその次に『ジャパン語→グローバル語』の段階に入ります。
ここで初めて単語や文法といった英語の知識を使用するので、ちょっと勉強の要素が出てきます。練習も必要です。
ただそれを苦痛と感じることは少ないと思います。もう英語に一歩近づいているので、知識の習得もただの暗記でなく、理解して納得しながら取り入れることが出来るからです。
むしろもっと英語を話したくなるかもしれません!
各過程の具体的な学習はおいおい紹介しますね。
そして一緒に勉強していきましょう。
私もまだまだ過程にいますので^ ^
今日のおさらい
英語が話せない原因は日本語と英語の距離を無視しているから。
つまりそのままでは超えられない距離を無理に超えようとして、疲れてヘトヘトになって諦めてしまうわけですね。
英語が話せるようになるには、その距離を認識することから。
自分と英語との距離を認識して、思考過程という踏み台を使ってその距離を埋めていきましょう。